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 日本の夏の風物詩と言えば、花火大会。家族や友達とする花火も楽しいですが、暑い夏の夜に少し涼しくなった屋外で見る打ち上げ花火は最高ですね。
  ここ河内長野市では、花火大会は開催されていませんが、一部の地域ではPL花火大会を観ることが出来ます。和歌山県橋本市の紀ノ川祭の花火大会も見どころ満載です。そんな花火大会の特集を組んでみました。

花火大会特集 - 花火の歴史

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花火の歴史

 花火は「狼煙(のろし)」が花火の始まりとされています。日本に花火が伝えられたのは1613年8月3日、明国の商人がイギリス人を案内し、駿府に徳川家康を訪ね、鉄砲や望遠鏡などを献上をし、その8月6日に花火見物をしたとされています。 これは「花火唐人二の丸に於いて花火を立て大御所宰相少将御見物」と、書かれており、イギリス人ジョン・セーリスが中国人の手で家康たちを前に花火を披露したことを記録されています。
 これ以前にも天正17年(1589年)に伊達正宗が花火を楽しんだという記録や、ポルトガルの宣教師が花火を打上げて人々を驚かせたという話もあるようです
 徳川幕府は火薬の取り締まりを厳しくし、三河などが特別に火薬の製造と所持を認められていたようで、火薬技術発展の一因になったと言われます。
 万治2年(1659年)鍵屋弥兵衛が日本橋横山町にて花火製造し、幕府御用達の花火師になりました。
 享保18年(1733年) 、八代将軍吉宗がコレラの流行による疫病死者の慰霊と悪霊退散を祈り「両国川開き」始まりました。
 文化7年(1810年)「玉屋」が「鍵屋」から分家独立し、その後、互いに花火の技を競い合うようになったと言われています。「鍵屋」「玉屋」という花火の掛け声は、両国川開きの大花火で納涼舟や座敷から飛び交った掛け声が伝えられています。

花火の歴史  日本三大花火大会  教祖祭PL花火芸術  紀の川橋本 SUMMER BALL 2016  第45回吉野川祭り 納涼花火大会 
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